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━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一花の くれなゐ牡丹 床にさせば
冬の庵も さぶしくもあらず (伊藤左千夫)
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暖冬といわれてましたが
立春過ぎてからも寒い日が続いています。
寒さのせいか
梅など蕾も ゆっくりゆっくりと開いているようです。
花のない時期の「冬牡丹(冬ぼたん)」や「寒牡丹(かんぼたん)」
藁囲いの中で、そっと咲いています。
「牡丹(ぼたん)」は、中国が原産です。
中国では、“名花” “花王”と称えられている花です。
「牡丹(ぼたん)」が最初に出てくるのは後漢の末(3世紀初頭)
“芍薬”と“牡丹”は同属の花で、
根は、痛み止めなどの薬として使われていました。
そして、牡丹は年代を経ると木質化するところから
燃料用の薪として使っていました。
そんな時代が長く続いていたようです。
花として鑑賞されるのは唐の時代になってからです。
11世紀になっての「洛陽牡丹記」には多数の品種がでてきます。
鑑賞用の花として、栽培が盛んになって来たのです。
日本への伝来については
はっきりしたことはわかっていません。
花として伝えられてのではなく
乾燥した根などが薬として
奈良時代の頃に伝えられていたようです。
万葉集には、「牡丹(ぼたん)」は出てきていません。
はっきりと出てくるのは、平安時代の「蜻蛉日記」が最初です。
その絢爛さから、平安時代は宮中の花とされていました。
江戸時代になると栽培も盛んになり
庶民の間の花として、300を超す品種が栽培されています。
栽培法も、接ぎ木など盛んに行われていました。
美人を例える言葉としていわれる言葉、
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
いつの頃から言われていたのでしょうか。
絢爛豪華な花の代表になってきたのでしょう。
「牡丹(ぼたん)」は、本来ならば春咲くもの。
一季咲き牡丹を低温処理し
冬に開花させた「冬牡丹(ふゆぼたん)」は
縁起物として正月用に使われていました。
春にも咲く二季性牡丹を、
春の花は蕾のうちに半分摘み取り、秋の花芽分化に備え咲かす。
12月初旬から開花する「寒牡丹(かんぼたん)」
見分けるには、
咲いていて葉が付いているのは「冬牡丹(ふゆぼたん)」
葉がついていないものは「寒牡丹(かんぼたん)」
といわれています。
今回の歌は、明治初期に活躍した歌人・小説家の伊藤左千夫の歌です。
床の間に 紅い冬牡丹を一輪差すだけで
冬のこの部屋も、味わいが出てくると詠っています。
花のない時期にけなげに咲く牡丹の花は
一輪でも存在感のある花。
冬の花のない時期に咲く花に、春を待ち望んでいたのでしょう。
━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
寒風に 花びら揺らす 冬牡丹
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━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
梅の花 折りてかざせる 諸人は
今日の間は 楽しくあるべし (万葉集)
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梅一輪、一輪ほどの暖かさと言われていますが
春の日差しが待ちどうしい今日この頃。
立春を過ぎての戻り寒波の中
春を呼ぶ、「梅の花」は、
身を縮めながらも、少しずつ開花しています。
2月25日、
京都の北野天満宮では、
菅原道真公の故事にちなんで「梅花祭」が行われます。
梅花のお供えを神前に奉納します。
日本では、多くの梅の花が栽培されていますが
他の国ではあまり見られないようです。
渡来の花の「梅の花」
奈良時代以前に日本に入ってきていたと言われます。
最初に出てくるのが「懐風藻」(751年)
万葉集には、「ハギ」に次いで多くの歌が納められています。
「梅の花」に春の訪れを待ち焦がれ、
地方によっては、古からの農耕生活の中で、
年の始めに咲く「梅の花」に秋の実りを占っていました。
「梅の花」が多いと豊作だと言い伝えられている地方もあります。
梅の花は、最初の宴の花として
奈良・平安初期には一番の人気の花だったのです。
今回の歌の万葉の頃
九州の役人だった大友旅人は
自邸で「観梅の宴」を役人を招待して開いています。
この時詠まれた、梅の歌32首が万葉集に納められています。
この時、詠まれた歌の中でも
梅の花を折って、挿頭(かざし)にしている歌が多く見られます。
挿頭(かざし)とは、花を折って頭に挿し飾ることです。
花を挿頭(かざし)にする者は
神を斎き祭るものとされ、神の依代とされてきました。
梅の宴、多く催されるようになると
その挿頭(かざし)が、宴のようなハレの場の風流となっていきます。
古代から人は、花の霊力を信じ、
そしてその花の美しさを愛で鑑賞してきました。
その愛でられた最初の花が、「梅の花」だったのかもしれません。
梅の宴で、枝を折りその枝を挿頭ている人々、
宴が盛り上がって、楽しく過ごしているのでしょうと詠んでいます。
ですからこの時代、紫宸殿には
右近に橘、左近は梅が植栽されていました。
その後、宴の花として、桜の人気が高まります。
清和天皇の御代になり、梅が枯れた事もあり
左には、当時人気の高くなってきた桜が植えられます。
そして、右近の橘、左近の桜になります。
春の暖かさを満喫できるのは桜の花の頃だからでしょうね。
━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
冴え返り こわごわ開く 梅の花
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━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
我が衣手に 雪は降りつつ (古今集)
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立春が過ぎると、春と言われますが、今年は寒いです。
例年ならば、旧暦の正月の頃には
畑の畔道などには、母子草などの若い葉が
陽射しに揺れて大きくなっていますが
今年の寒さでは、なかなか大きくなれないようです。
春の訪れを知らせるように
立春の時期の頃には、
霜が解けかかかった土の中から若い葉が出てきます。
万葉の頃の今の時期には、若菜を摘んで
七草粥が食べられていました。
しかし、今年の立春寒波の影響で
なかなか気温は上がりません。
春の若芽もなんだか小さくなってしまっています。
そんな中、凍てついた冷たい風が吹き荒れています。
日だまりの若菜見ながら、
「我が衣手に 雪は降りつつ」という詞が思い出されましたので
今回の歌を取り上げてみました。
百人一首では、あまりにも有名な歌です。
あなたのために、寒さの残る春の野原に出かけて、
若菜を摘んでいます。
摘んでいると、私の着物の袖にしんしんと雪が降ってきましたよ。
と詠んでいる歌です。
若菜摘むこの季節の寒さが、
今年の関東平野の寒さの情景と重ねあって
万葉の頃と、おなじ季節を感じているのかなと…
春の暖かさを待ち焦がれる今日この頃です。
━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日だまりの 小さき若菜 戻り寒
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