野花や草木の散歩道で一句

道端の野花、そして草や木。
どこにでも咲いている道端の可憐なお花。
古の歌から生い立ちを辿り、草木たちの古を思い浮かべながら
草花や木々を眺めてみませんか。
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天神祭と梅の花
JUGEMテーマ:野花と草木を詠う

━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 

梅の花 主なしとて 春な忘れそ
  (菅原 道真)

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木々のつぼみも膨らんでいます。
そして、梅の花も開いてきています。

梅の花と言えば
天神祭の紅梅が思い浮かびます。
菅原道真が愛した梅の花と言うことで
天神社には、梅の花が植えられています。
早咲きの梅1月25日は太宰府天満宮など
あちらこちらの天神様で
初天神祭の縁日が行われています。
現在は、天神様に祀られているのは、菅原道真です。

平安時代、菅原道真は幼少より
詩歌に才をもち、
学問にも長け、その豊かな
学才を磨いていきます。

有力氏族の出身では
なかったにもかかわらず、
その当時の宇多天皇の信任を受け
右大臣の地位まで出世します。
出世の背景には、その当時、
藤原家に有力者が
いなかったこともあります。



天皇を中心とした集権国家を
目指した菅原道真ですが
藤原氏をはじめとして貴族たちは
快く思っていませんでした。

異例の出世を果たした菅原道真は
時の左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)により
九州の太宰府に左遷させられてしまいます。

その大宰府左遷が決まり
延喜元年1月25日(旧暦。新暦では901年2月16日)は、
大宰府に左遷されることになった菅原道真が京を出発した日です。
この日にちなんで
天神様では、縁日が行われるようになりました。

受験も近いこの日は、
合格祈願の絵馬をかく姿が目立っています。

左遷させられた菅原道真が天満宮に祀られた当時は
火雷天神とも呼ばれて、雷神信仰とも結びついています。
道真の神霊に対する信仰もまた天神信仰と言われるようになりました。

道真の死後、都では疫病がはやり、日照りが続き、
また醍醐天皇の皇子が相次いで病死してしまいます。
さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出ます。
これらのことが道真の祟りだと恐れた朝廷は、
道真の罪を赦すと共に贈位を行います。

天皇や貴族たちは、道真の祟りだと恐れを抱くようになります。
道真の祟りを鎮めようとして、各地に天満宮を建立します。

天神は、元々の火雷天神は天から降りてきた雷の神とされており、
雷は雨とともに起こり、
雨は農作物の成育に欠かせないものであることから
農耕の神として各地に祀られていました。
ですから、村の天神様は
もともと農耕の神として祀られていたのです。

祈願の絵馬たたりを怖れられた道真の火雷天神。
各地にある天神と道真が結びつき
同一視されるようになりました。
天神様イコール道真となっていきます。
道真の祟りもようやくおさまり
中世になると、
菅原道真が学問に秀でていたので

天神は、火雷天神ではなく、
学問の神様へと変化していくのです。

そして、1月25日は菅原道真公を
祀る天神様は
初天神の縁日になります。

道真公が愛でていた、
梅の開花を迎えます。
東京・湯島天神の梅を楽しむのは
もう少し先のようです。




今日の歌は、
早春に良い香りを放つ梅の木があった道真邸。
九州へ出発する日の朝に、
大宰府へ左遷されてしまい、もうこの梅の花の香りも嗅ぐことが出来ないと
道真は庭に出て次の句を詠むのです。

この句は、道真残した歌として有名になり
その愛していた梅が道真がいる太宰府まで飛んでいったという
飛び梅伝説まで生まれます。

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   
  梅の下  願いを託し  絵馬をかけ   

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| 初春 | 15:31 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
風にざわめき揺れるササ
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━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


小竹(ささ)が葉の さやぐ霜夜に 七重(ななえ)著(か)る

衣(ころも)に益(ま)せる  子ろが膚(はだ)はも  (防人の歌)
 

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 冷たい空気の中
寒風がさらに寒さを増します。
垣根越しに、ササが風にざわめいています。

「ササ」と呼ぶのは
葉が風に揺れて、ササ…ササ…という音からのものであろうと言われています。

広辞苑で、「ササ」を調べてみると
“竹の類で小さいものの総称”となっています。
道ばたのササ

厳密には、タケノコが成長して大きくなって
皮が落ちないものを「ササ」と呼び、
皮が落ちたものが「タケ」と呼ばれるそうです。

「ササ」の種類は多く
アズマザサ属・クマザサ属やヤダケ・メダケなど多くが
ササと呼ばれています。
地下茎で繁殖して高さは大きくありません。

「ササ」は、風に吹かれてその音から連想したからでしょうか、
寒中の、露霜がおりて底冷えのする夜。
そんな情景を詠んだ歌に、「ササ」が使われています。

今回の万葉歌は
「ササ」の葉のざわめく
霜のおりる寒い夜は
七重にも重ねて着る衣よりも
愛する妻の、柔らかな膚のぬくもりが懐かしいと
寒夜に、旅先で妻を恋しく詠ったものです。

「ササ」が風に揺らいでざわついている音は
底冷えのする寒い夜に
寂しさを一層募らせたのでしょう。

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   
  笹の葉が  ざわめき揺れて  月も冴え
   

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| | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
正月の祝いものとしてのめでたい「ゆづりは」
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「ゆずりは」家庭の庭木として多く植えられています。


━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


古(いにしえ)に 恋ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の


    御井(みゐ)の上より 鳴き渡り行(ゆ)く   (弓削皇子)
    


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初夏の頃、新葉が成長してから、
大形の長楕円形の旧い葉が落ちて
新旧交代をするのが、この名の由来です。


古名は「ゆずるは」
由豆流波・弓絃葉


常緑の、「ゆずりは」は
古から新春を迎える時に、
欠かすことのできない
祝いもの葉です。


神に供える酒食をその
「ゆずりは」の葉の上に
のせた風習は、
現在、鏡餅・お供えの
下敷きとして裏白と共に
使われています。
長い間、使われてきた葉です。



古の万葉の頃の、屋敷にも、大きな木が育っていたのでしょう。

今回の歌は、ロマンチックな漂いのある歌です。

吉野の宮に幸し時、弓削の皇子、額田王に贈与る(おくる)歌とあります。
持統天皇の吉野離宮行幸にお供して行った、弓削皇子。
彼が、都にいる、額田王に贈った歌です。

茎が赤いユズリハ


弓削皇子は天武天皇の第六皇子。
額田王は、
若き時に天武天皇と歌を詠み交わして、
天武の子を産んでいます。


弓削皇子がこの歌を贈った時の
額田王はかなりの高齢です。

その二人に、秘められた
ロマンスがあったのでしょうか。
ちょっと、気になります。



「弓絃葉の御井の上より」の、
御井は、離宮の大宮人の汲む泉です。

その御井のほとりに、
大きな「ゆずりは」が茂っていたのです。

大きな 「ゆずりは」の木に
隠されたロマンスの真意が気になる歌です。


 

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


   
  弓絃葉を  見上げた空に  初雪舞う
   


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| 初春 | 08:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
歳神さまをお迎えする門松
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祀りに欠かせない、「マツ(松)」

━━━ 今日の歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

朝凪(アサナギ)に 真楫(マカジ)漕ぎ出で 見つつ来(コ)し 

    三津の松原    波越しに見ゆ
    (万葉集)
 

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日本の大事な行事は、お正月です。
一年が始まる、お正月には「マツ(松)」がかかせません。

神様は松の尖りを好む

正月は、松飾りや門松を立てて、
新年に歳神さまを迎えるとされています。

奈良・平安の時代には
「小松引き」という行事があり
正月の子の日に山野で小松の枝を引いてきて
その芽を食べていました。

古来は、新年を迎えるのに
マツだけではなくサカキやツバキやシキミなどの常緑であれば
なんでも良かったようです。

この門松の習慣は、一般農民の風習の方が先だったようで、
農民の風習が、上層階級に波及していったのです。
ですから、宮中の門松行事は、比較的に新しいものです。

室町時代になると、芸能にマツがとり入れられるようになり、
能の起源と共にマツが演目に多く取り入れられていきます。
マツは、他の常緑樹とは別に
祀りの中に組み入れられるようになりました。
「祀り」という言葉も、マツを奉るという意味があるともいわれています。

その頃から新たな年を迎える時に、
凡人には見えない歳神さまを迎える
歳神さまの依代としてマツが、選ばれるようになっていきます。

マツの姿は、冬も青々としています。
老木になるとともに、風格も現れてきます。

須磨や明石の海岸の、白砂青松の風光美は
日本の代表的な景色です。
このような情景を詠んだ歌や文学作品は、多くあります。
マツは、万葉の頃から数知れないくらい多く詠まれています。

日本庭園や名所に残っている名木として
現存する木も、マツが一番多く残っています。
そんなマツを題材にしている、話も多く見られます

日本人は、マツは霊力のある神聖な木としてみています。

神聖な木としてある「マツ」ですが
個名としての「マツ」はありません。
マツ」はマツ科マツ属の総称で、その植物名ではないのです。

ですから、他の植物とは違って「ツ」と扱われていても
海岸地で詠われたのは、「クロマツ」、
山間地では「アカマツ」が、想定されます。
マツ」と詠われているのは、この2種類がほとんどです。

日本人に一番なじみの深いともいえる「マツ」ですが
マツ」と名前が付いているものはないのです。
どうしてなのでしょうか、そこがちょっと残念なところです。
宮島の初詣

今日の歌は、
波間に遠くなる浜辺、離れてゆく松原の姿を
美しく詠っています。

 

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   
  松の奥  赤い鳥居に  初祈願
   

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| 初春 | 14:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |


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