野花や草木の散歩道で一句

道端の野花、そして草や木。
どこにでも咲いている道端の可憐なお花。
古の歌から生い立ちを辿り、草木たちの古を思い浮かべながら
草花や木々を眺めてみませんか。
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ネジバナは忍ぶ恋の花
日当たりの良い草地や芝生に
草の中から、左巻きになったり、右巻きになったりして
ピンク色可憐な花のネジバナがあたりをうかがうように
花を一つ一つずらしながら咲いています。
捩れて咲くネジバナ

時には、
捩らずに真直ぐ
咲いているのもあります。
360度観賞用に
咲いているのか

ただ、
へそ曲がり的に
咲いているのかは
定かではありません。


このネジバナの別名は「捩摺」モジズリ

陸奥国の信夫郡から産出された忍草の茎や葉などの色素で
捩れたように文様を
布にすりつけたように染めたものを忍摺または捩摺として
献上していました。
その模様に似ていたので
「捩摺」モジズリと呼ばれたそうです。
背を伸ばすネジバナ
そして染色材料の忍草から、
忍ぶ恋の花、
捩摺の思い募る
可憐な恋心
捩じれんばかりの
乱れ模様の花を
恋心と見ていたのでしょうか?

野原に可憐に咲いていると、
ちょっと摘みたくなります。
ただ、
この可愛い花の花粉に
触ると痒くなります。
アレルギーのある人は、
あまり触らないほうが
いいかもしれません。




━━━ 今日の短歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

みちのくの 忍ぶもじずり だれゆえに
         乱れそめにし われならなくに
(河原 左大臣)

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

くさはらの 紅のねじばな 背比べし
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━












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| | 16:00 | comments(0) | - | pookmark |
万葉歌人に忌み嫌われた「ホオズキ」
江戸の頃から、庭先に咲いていたホオズキ。
地下茎で育つ多年草です。
今は、家庭の庭に咲いているホオズキはあまり見かけ無くなりました。

毎年7月に入ると東京・浅草寺で、ホウズキ市が開かれます。
ホウズキを買い求める人で賑わいます。

可愛い青鬼灯

女の子はホオズキの実をよく揉んで
丁寧に種を少しずつ出して、きれいに洗い
鳴らして遊んだものです。
ただ、種を出す時の
あの臭いは嫌なものでした。

「ホオズキ」は「ホホツキ」といわれ
ホは「火」を、
ツキは染まるという意味の
「著」からと言われます。

もっと古く古事記に出て来た「ホオズキ」は
ヤマタノオロチの目にたとえられて
「アカカガチ」と言われていました。

ホウズキの実の赤く輝くところから名づけられたのでしょう。
「アカカガチ」はホオズキの古名です。

ホオズキが赤くなると、怒ったような赤い目で睨まれているのを
想像したのでしょうか?
毒草は歌に詠まなかった万葉の歌人は、
ホオズキも毒草の仲間に入れていたのでしょうか?
怒っている大蛇の眼を嫌ったのでしょうか?
万葉集には、ホオズキは詠まれていません。

ホオズキは「鬼灯」とも書かれます。
蕚が青いものを「青鬼灯」いずれにしても怖れられていたのでしょう。

一週間たって大きくなった青鬼灯
平安時代になると
アカカガチの呪縛なくなり
ホオズキを吹き鳴らして…と
文献にみられるようになります。
家の周りにも植えられるように
なったのでしょう。

ほうずき市で売っているような
萼も赤くなるホオズキは
江戸時代になってから
栽培されだしたそうです。


赤くなるまではもう少し先ですが
毎日、毎日、大きくなっていく、今の青鬼灯。

赤く、アカカガチのようになったら
子供のころに帰って
種を取って、吹き鳴らしてみましょうか?

━━━ 今日の短歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

水打てば 青鬼灯の 袋にも
    したたりぬらむ たそがれにけり
(長塚 節)

━━━ 今日の詠み歌━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青鬼灯 大粒の雨に 一滴
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


















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| 梅雨 | 16:20 | comments(0) | - | pookmark |
蓼食う虫も好き好き
上に向かって咲く蓼を「イヌタデ」という。
その紅い花を赤飯に見立てて
別名「あかまんま」と呼ばれている。

イヌタデ
あかまんまが咲きだすと
野原が一面、
ピンクに変わります。
葉の下のほうも、
緑の葉から紅い葉に
なってきます。


現在では
アカマンマの野原で遊ぶ子供は見られませんが
万葉の時代から、途切れることなく咲き続けていると思うと
可愛らしさが募ります。

この蓼の種類は
オオイヌタデ、ヤナギタデ、サナエタデなどあります。
オオイヌタデ
その中で食用の蓼も
あります。
葉の形が、
柳の葉に似る蓼、
「ヤナギタテ」です。
「マタデ」や
「ホンタデ」とも
呼ばれています。
若葉には強い辛みがあり、
鮎の塩焼きの
つまに使われています。


その辛い蓼を食べる虫もあるように、
人の好みはさまざまということで
"蓼食う虫も、好き好き"と…

万葉集に出てくる「蓼」はこの「ヤナギタテ」を
指しているのではないかということです。

春に生まれた鳥のひなたち、
やっと出していた鳴き声から、上達した鳴き声になり
空に向かって咲くアカマンマの野原に
鳥の声がこだましてました。

━━━ 今日の短歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

見るままに 駒もすさめず 摘む人も
         無きふるさとの 蓼に花咲く
(藤原 信実)

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

草むらを 陽に向かい咲く あかまんま 

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| 梅雨 | 00:41 | comments(0) | - | pookmark |
桑と桑の実
桑の実
桑といえば蚕
いつの頃から、桑の葉を食べさせて
生糸を紡ぎ
絹を織っていたのでしょう。

桑の木は弦楽器の材料としても使われていたそうで
正倉院にはクワ製の琵琶が保存されています。

庶民は綿や麻でしたが
貴族は、衣ずれをたのしみながら
絹を纏っていたのでしょう。

高度成長期までは
田舎の桑畑の風景はどこにでも見られました。

もう少しで食べ頃になる桑の実  
蚕にあげる桑の
採取のための桑は
背丈も大きくせずに
育てていたため
花が咲いて
小さなイチゴのような
紫黒色の実は子供が
手を伸ばせば
すぐに採れました。
ちょっと甘酸っぱい
柔らかな実は
よその畑に入って
つまんでいたものです。



ただ、その柔らかさと紫黒色は
口のまわりと、手を黒く染めつけました。

家に帰ると、大人には何をしてきたかすぐ分かってしまうもので
「又、よその畑に入って、桑の実食べたね、お腹こわすよ!」と
よく怒られていたものです。

古代でも
大人は、蚕にあげる葉を刈り取り
子供は親の目を盗みながら
甘酸っぱい桑の実を頬張っていたのでしょうか。

明治時代化から国策政策として始まった
生糸生産も時代の変化とともに衰退しました。
富岡製糸工場も世界遺産登録として存続されます。
桑畑も無くなり
桑の実も見られなくなってきています。

━━━ 今日の短歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

たらちねの 母のその業(なり)の 桑すらに
         願えば衣(きぬ)に 着るといふものを
(万葉集)

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

桑の実を つまんで染まる 幼き手 

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| 梅雨 | 16:11 | comments(0) | - | pookmark |
栗の花
栗の実は秋です。
秋が収穫になります。

雨上がりなどに
モワーンと甘くもなく、
生ぬるい匂いにつつまれる
梅雨に入ろうとしているこの時季。
新緑の頃の新芽

栗の花が満開です。

新緑に入るころの
栗の新芽は
輝いて見えます。
この赤さが
何とも言えません。



私たちの生活にも栗は身近なものです。
そんな栗は、縄文の昔から食べられています。
青森の三内丸山遺跡でも栗を食べたとされています。
それも、ただ食用にしていたのではなく
栗を栽培して育てていたという研究もされています。

栗の産出が多いのは
中国と朝鮮と日本です。
中国では、シナグリが産出され
日本の栗は、日本と朝鮮だけで産出されているそうです。

栗の花開花前

シナグリは渋皮が少ないので 
今でも、
天津甘栗として
調理されています。
この甘栗
つい手を出してしまいます。
美味しいです。


よく云われる「マロングラッセ」の「マロン」はフランス語。
Wikipediaによると
「マロン」はもともとマロニエの実のことである。
かつてマロニエの実を使ってマロングラッセを作っていたが、
後にクリの実で代用するようになった結果、
マロンにクリの意が生じたといわれる。とのことです。

日本の縄文の時代では
栗をどうやって調理して食べていたのでしょうか?
収穫された時季に
そのまま茹でたり、焼いたりして食べたでしょうが
栽培までしていたということになると
保存食的なものを作っていたと思います。

それを受け継いできたのが
搗栗(かちぐり)という保存方法と言えそうですが
その辺は、まだまだ解明の余地がありそうです。

足利時代の武家の出陣の時に搗栗(かちぐり)を
肴に門出を祝ったとされています。栗のにおいが一番強い時

いつの時代も 栗は甘い美味しい食べ物の 一つだったのでしょう。

古代から栽培までされていた栗の木。
梅雨のこの時季
あたり一面に、栗の花の匂いでいっぱいだったのでしょう。
この匂い…すきと言う人は余りいません。

秋の収穫が楽しみです。

栗の花を詠んだ歌はあまりありませんので現代の歌から


━━━ 今日の短歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

硝子ごし むかひに見ゆる 栗の木の
        栗の白花 すぎにけるかも
(斎藤茂吉)

━━━ 今日の詠み歌 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

雨あがり 匂いを落とす 栗の花

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| 梅雨 | 16:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |


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